やまなしの情報や看板犬の日常を南総里見八犬伝ならぬ南都留富士見4犬伝でリポートします。


by someday3601
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HAPPY HALLOWEEN!!

久にとっては初めてのハロウィ~~~ン!!
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いまいちポーズが決まらなかったり
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ちょっとピンボケしたり・・・
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眼帯がずれてたり・・・・・
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コスチュームになれなかったり・・・・とやっぱりマダマダですが仕方ないですね。

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かなり」前のですが写真が出てまいりました。
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まああ少しづつ慣れるでしょうか?
それではHAPPY~~~~HALLOWE~~~~~EN!!

by someday3601 | 2013-10-31 23:19 | ホスト&ホステス犬

OH MY NINA

  いまから9年前にペンションの入り口の森の木に繋がられていました。あれから9年間はあっという間・・・お祝いの席にジョンはいない。それでもジョンの魂を継承するお父さんお母さん&空に海や久がいるじゃないか・・・・・みんな年を重ねた・・・・まるで浦島太郎になったようさ。でもみんな君の誕生日を祝福しているよニーナ!!これからも元気で長生きしようぜ!!いつも一緒だよ!!
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今晩もローストビーフでかんぱ~い!!名古屋のラブ君に習ってたまなうなぎでもどうかな?
わたしは飛騨牛が食べたあ~い!!(ニーナ)
了解で~す!!(ゲゲゲの女房)
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あの頃のニーナは耳が垂れていたんだよね。10/23日の新潟の中越地震の日に捨てられていたから4日間野宿したんだよね。だから汚れちゃって美容室に行ったんだよね。ジョンもついでに行ったらこの有様さあ。ニーナもあれから一度も美容室には行ってないんだね。

あ~思い出したぞ!!最初下痢しちゃててうんちがいっぱいついててこれじゃ動物病院も行けないし・・・・その前に美容室ゆくとしてもせめてウンチはとるんだろうと・・・・・・・お尻に水かけたらお父さんの太もも噛み付いたんだった・・・・・そして尚もお尻を水かけてるとワンワン激しく啼くもんだから・・・・ゲゲゲの女房に何やってんの・・・・虐待じゃない!!手でウンチとってあげてよって・・・・叱られました。ジョンのウンチだって素手でとったことないのに・・・・って随分薄情な自分がいました。あれから少しは成長したのか今ではウンチも素手で取れるし、噛まれて怒らないし、トリミングはできないけどシャンプーと爪切りはおまかせだよね。最近はすっかり絆で結ばれているので寝たままシャンプーもさせてくれます。
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  困ったのは保護しようといったゲゲゲに牙をむく時があって・・・・・お父さんの取り合いで二人はライバルになってしまった。でも残念ながらゲゲゲにはかなわないんだよ・・・・・なんたって名前を付けたのもゲゲゲなんだからさ。ニーナって本当に良い名前だろ・・・あらためて誕生日おめでとうニーナ!!




PS保護した当時は3歳くらいと動物病院の先生に言われたから今12歳だと・・・・・・・僕よりは20歳くらい年上になってしまった。ジョンは年増の女の子の犬が好きだったけど・・・・・・いつの日か僕も年増がまんざらではないようだぜ。ジェジェジェ

by someday3601 | 2013-10-27 16:16 | ホスト&ホステス犬

毎度おおきに

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イオンの懸賞で5000円分のワオンカードGETです。高速道路のSAでも使えるので重宝してます。
旅行に行けと・・・・・行きたいなあ!久ちゃん旅行デビューかな・・・・・??



これは当たりといっても過言ではないぞ!!工業用ミシン欲しいなあってつぶやいいたら・・・・・早速・・・・・
ジョンの生まれ家から電話があって無料で頂けるというのです。ありがたやありがたや!!これで犬の洋服にチャレンジしてみよう!!まずは頂きに参上しなければ・・・・感謝感謝です。ゴールデンのランちゃんに何か作ってあげなければね。


ここでお願いです!!古新聞古雑誌じゃねえ・・・・・不要な古着がございましたら頂けませんか?勝手言って申し訳ございませんがフリース素材のトップスか・・・・ボトムスはジーンズを・・・・・なんちゃって

by someday3601 | 2013-10-26 20:57 | Prize life(懸賞生活)
ゲゲゲの父方のルーツは福島会津にある。僕の父方は薩摩である。幕末から維新であればとても許される仲ではなかったはずだ。


 大山巌と妻の山川捨松の周囲は想像を絶するものだったろう。この薩摩と会津には類似点も多かった。殿様を中心に強大な軍事力を持っていた。また薩摩では郷中制度というのがあり、また会津では什の掟というのがあった。薩摩は江戸幕府からは遠い西国の藩ゆえに目が行き届かずに貿易で利益を上げその財力と大陸からの影響で独自の文化を発展させた。いっぽう会津は将軍家を支えるという家訓(かきん)のもと藩校日新館では当時最先端の教育が行われていた。かの吉田松陰も認めていたという。そんな気質のにたところにお互い惹かれるものがあったのかもしれない。僕ら夫婦はどうだったか?重ねて考えるるには恐れ多いのですが。ムムムのム


さてこの両藩は似ていると言いましたがどんなところが似ていたのか文献より・・・・

*会津藩

什(じゅう)は会津藩における藩士の子弟を教育する組織。同様の組織に薩摩藩の「郷中」がある。
町内の区域を「辺」という単位に分け、辺を細分して「什」という藩士の子弟のグループに分けた。什では「什長」というリーダーが選ばれ、什長は毎日、什の構成員の家の座敷を輪番で借りて、什の構成員を集めて「什の掟」を訓示した。什の掟は7ヶ条からなる。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

*日新館
1798年(寛政10年)、会津藩家老・田中玄宰の進言により計画される。 1803年(享和3年)、会津藩の御用商人であった須田新九郎が新築経費を寄付したため、会津若松城の西隣に日新館の校舎が完成。東西約120間、南北およそ60間の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校となった。
当時の会津藩の上級藩士の子弟は10歳になると日新館に入学した。15歳までは素読所(小学)に属し、礼法、書学、武術などを学んだ。素読所を修了した者で成績優秀者は講釈所(大学)への入学が認められ、そこでも優秀な者には江戸や他藩への遊学が許された。全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関であると言える。1868年(慶応4年)、戊辰戦争により校舎は焼失。現存するのは会津若松城趾西側に残る天文台跡のみ。


*薩摩藩

領内(りょうない)を「外城(とじょう)」という細かい区画に分けていました。それぞれの外城(とじょう)には、役所にあたる地頭仮屋(じとうかりや)をおき、その周りに「麓(ふもと)」という武家(ぶけ)集落をつくりました。外城(とじょう)の数は時期によって変化しますが、113カ所ほどありました。いざという時には、麓(ふもと)の武士たちが中心となって軍団をつくる仕組みでした。

外城(とじょう)は後に「郷(ごう)」と呼ばれるようになりました。

郷中(ごじゅう)教育
鹿児島では、「郷(ごう)」という地域(ちいき)ごとに、「郷中(ごじゅう)教育」という独特(どくとく)の青少年教育を行っていました。藩士(はんし)の子どもたちを、15歳(さい)前後~25歳(さい)前後の「二才(にせ)」と、6、7歳(さい)~15歳(さい)前後の「稚児(ちご)」に分けて、先輩が後輩を集団で指導(しどう)して学問や武芸(ぶげい)に励んで(はげんで)いました。

古くからの教え
出水(いずみ)には、「出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)」と呼ばれる、江戸時代に作られた教えがありました。

「士(し)ハ節義(せつぎ)を嗜み(たしなみ)申すべく候(そうろう)」。人は正しいことをしなくてはいけないと言っています。

正しいこととは、うそを言わないこと、自分よがりの考えをもたないこと、素直(すなお)で礼儀(れいぎ)正しく、目上の人にペコペコしたり目下の人を馬鹿にしたりしないこと、困っている人は助け、約束は必ず守り、何事にも一生懸命(いっしょうけんめい)やること、人を困らせるような話や悪口などを言わないこと、自分が悪ければ首がはねられるようなことがあっても弁解(べんかい)したり恐れ(おそれ)たりしてはいけない、そのような強い心を持つこと、小さなことでこせこせしない広い心で相手の心の痛みが分かるやさしい心を持つこと、と教えています。
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島津(しまづ)家第28代当主の島津斉彬(しまづなりあきら)は、人材登用(とうよう)に優れ(すぐれ)ていました。また、藩主(はんしゅ)にして科学者でもあり、多くの功績(こうせき)を残しました。
斉彬(なりあきら)は、大砲(たいほう)を造る(つくる)ために反射炉(はんしゃろ)の建設(けんせつ)に取り組みました。
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薩摩藩(さつまはん)のガラス製造(せいぞう)は、島津(しまづ)家第27代当主の斉興(なりおき)が、江戸から招いた(まねいた)ガラス職人(しょくにん)に薬ビンをつくらせたのが始まりです。後を継いだ(ついだ)斉彬(なりあきら)は着色ガラスを研究させ、透明(とうめい)ガラスに色ガラスを被せ(かぶせ)、カットを施して(ほどこして)模様(もよう)を刻む(きざむ)「薩摩切子(さつまきりこ)」を完成させました。
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鹿児島市の磯(いそ)地区にある仙巌園(せんがんえん)は、島津(しまづ)家の別邸(べってい)があったところで、園内の鶴灯籠(つるどうろう)と呼ばれる石灯籠(いしどうろう)には、日本で初めてガスの明かりがともりました。斉彬(なりあきら)は、学者にガス灯の用法を書いた外国の本を翻訳(ほんやく)させ、磯別邸(いそべってい)にガス室を設置(せっち)。安政4(1857)年8月に、園内の鶴灯籠(つるどうろう)をはじめとする石灯籠(いしどうろう)に点火しました。
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斉彬(なりあきら)の側近の市来四郎(いちきしろう)は、安政4(1857)年に鉄製(てつせい)150ポンド砲(ほう)の製造(せいぞう)に成功した、と書き残しています。150ポンドとは砲弾(ほうだん)の重さのことで、約70キログラム。この砲弾(ほうだん)を約3,000メートル飛ばすことができたといいます。仙巌園(せんがんえん)で150ポンド砲(ほう)のレプリカを見ることができます。
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斉彬(なりあきら)は、嘉永4(1851)年に洋式帆船(はんせん)づくりを始めました。3年後には3本マストの「伊呂波丸(いろはまる)」が完成し、その後、日本初の洋式軍艦(ぐんかん)「昇平丸(しょうへいまる)」を、さらに日本初の蒸気(じょうき)船「雲行丸(うんこうまる)」を完成させました。どちらも翻訳(ほんやく)書を使いながら、日本人だけで苦労して成し遂げ(なしとげ)ました。


このような両藩でしたが西国で貿易で栄えてきた薩摩と海を持たない会津ではおのずと違いがはっきりしていました。またお互いの雄藩としての立場の違いも大きかったでしょう。維新後の勢力争いは日本という国の中だけではなく、薩長土肥についたアメリカや、一方幕府側についたフランスなどヨーロッパの列強もそうだった。維新後は社会の仕組みという考え方の違いは藩の枠を超えて争いが始まる。日本各地の士族の反乱は西南戦争の集結を持って終わり。それと時を同じくして維新のて立役者となった者たちの多くが世を去り改めて新しい世の中の始まりを告げたのであった。古いものを捨てなければ新しいものは入らなかったのである。しかし会津や薩摩・長州をはじめ多くの命と引き換えに士農工商の武家の封建政治は終焉を迎えあの身分を超えたエネルギッシュな明治という時代を迎えたのであった。それは僕らの何代かまえの祖先の話なのでした。




********薩摩と会津には相当の因縁があったのです。幕末京都の蛤御門の変では会津と薩摩は手を結び長州藩を追い払った。しかし戊辰戦争では一転、薩摩と長州が手を結び会津を滅ぼした。会津戦争当時新政府軍の侍大将が西郷隆盛で賊軍にされた会津の家老が西郷頼母であったのは以前も書いた。戦国時代は三河の国で松平家(後の徳川)に臣従し、江戸幕府とともに関東に入った。会津は東北の関所であり伊達や旧豊臣側の大名に睨みを効かせていたのである。

*保科正之

この初代会津藩主である正之は謹直な男だった。三代将軍家光の実弟であるにもかかわらず、家光にはいっさい狎れず、よく仕えたので、家光もこの人物を愛し、臨終のとき正之ひとりを病床によび「宗家を頼む」
といって死んだ。この時の正之の感動が、その制定した家訓になってあらわれている。家訓は十五箇条から成っているが、その一条に、「わが子孫たる者は将軍に対し一途に忠勤をはげめ。他の大名の例をもってわが家を考えてはならない。もしわしの子孫で二心をいだくような者があればそれはわしの子孫ではない。家来たちはそのような者の服従してはならない」という意味のことを書いた。この時代の大名の家訓のなかで、将軍に対する忠義をこれほど烈しく説きこんだ例はない。 正之は、家康の血統のなかではもっともすぐれた頭脳と政治能力をもっていた。藩制を独特な政治学をもって整え、藩士を教育し、好学と尚武の藩風をつくりあげ、ほとんど芸術的といっていいほどの藩組織を完成して、寛文十二年六十二で死んだ。この正之の遺訓、言行が、幕末までこの藩の藩是となった。皮肉にもこの御家訓の呪縛が会津藩を破滅へと導いてしまったのである。

会津松平家に代々家老といして勤めたのが三河の西郷家であり、薩摩の島津家に臣従ったのはその諸流であり言わば遠い親戚なのです。西郷隆盛が13代将軍家定の妻つまり篤姫(天璋院)にお側用人として使えていたのを考えると会津と薩摩二人の西郷も平和であったろう。幕末では会津戦争の指揮を執った西郷隆盛も西南戦争では従兄弟の大山巌が新政府軍の指揮を執り、その中には多くの旧会津の武士がいたそうです。会津の松平容保が京都守護職を孝明天皇より拝命した時に、過激な尊王攘夷を唱える脱藩浪士から京都の治安を守るために会津の別動隊を指揮した佐川勘兵衛や新選組NO2の斎藤一も警官として従軍していた。斎藤は維新後八重の幼なじみ・高木時尾と結婚。



*大山巌
薩摩藩士・大山彦八の次男。西郷隆盛の従兄弟。薩英戦争で彼我の実力差に衝撃を受け、江川塾にて砲術を学ぶ。鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍二番砲隊を指揮して戦い、会津戦争で右股を撃たれ負傷。この狙撃は、八重であったともいわれている。維新後、日本人初の近代火砲を発明、「弥助砲」と呼ばれる。後に、日本初の女子留学生であり、山川家の末子・捨松(咲)と再婚、元薩摩藩士との結婚は、会津で物議を醸すことになる。後年、日露戦争でも大役を果たす。日清日露戦争中、満州で日清戦争直前には右目を失明していたという記録が残っているが、日清戦争では陸軍大将として第2軍司令官、日露戦争では元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務め、ともに日本の勝利に大きく貢献した。同郷の東郷平八郎と並んで「陸の大山、海の東郷」と言われた。

*新島八重
明治23年(1890年)4月26日、八重は日本赤十字社の正社員となり、明治27年(1894年)の日清戦争では、広島の陸軍予備病院で4ヵ月間篤志看護婦として従軍。 40人の看護婦の取締役として、怪我人の看護だけでなく、看護婦の地位の向上にも努めた。明治29年(1896年)、その時の功績が認められ、勲七等宝冠章が授与された。その後、篤志看護婦人会の看護学修業証を得て看護学校の助教を務め、明治37年(1904年)の日露戦争時には、大阪の陸軍予備病院で2ヶ月間篤志看護婦として従軍し、その功績によって勲六等宝冠章が授与された。日露戦争での大山巌と新島八重さんの関係も興味深いです。


*山川大倉
国家老・山川家の長男。15歳で父を失い家督を継ぐ。八重とは同い年。子どものころから優秀な浩にとって、勝気な八重は目の上のたんこぶ。しかし、ぶつかりながらも淡い初恋の相手として八重を意識するようになる。18歳で物頭役(いわゆる侍大将)、一時期、尊王攘夷思想に感化されたが、ロシア留学を経て攘夷の非を悟る。会津戦争では、西軍に包囲された鶴ヶ城に会津の伝統芸能「彼岸獅子」を舞いながら入城するという離れ業を演じ、敵味方に「知恵の山川」とたたえられる。敗戦後、斗南藩の大参事として旧会津藩士たちをまとめ、朝敵の汚名をそそぐべく奔走する。



*山川捨松
 上記山川大倉の末の妹。
幼名は咲。幼くして家族とともに鶴ヶ城籠城戦を経験する。美貌と知性に秀で、11歳のときに、後に女子教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として1871(明治4)年、岩倉具視の使節団に加わりアメリカに渡る。母・艶は咲という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という切なる思いを込めて、「捨松」と改名させる。帰国後、薩摩の陸軍軍人・大山巌と結婚。美貌と知性を持ち合わせ、鹿鳴館時代の社交界の中心となって、「鹿鳴館の華」とたたえられる。しかし会津の元家老の娘・捨松と仇敵(きゅうてき)・薩摩の大山巌との結婚は、地元・会津にとって衝撃的なニュースで、山川家には抗議の手紙が殺到したと伝わっている。




by someday3601 | 2013-10-25 00:03 | 歴史探訪
  今日は大安だったし河口湖のJマートでお揃いのフリースベストを買いました。ジョンには一度も洋服買ってあげなかったのに・・・・・まあ兄弟たちだから許してな!!だって寒がりな奴らだからさ・・・・
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  工業用のミシンがなんとか手に入らないかなあ???そうすればミシンでマナーベルトや洋服を作ってみたいのだけど・・・・・・古着でリメイクしてやってみたいけどなあ・・・・・ 

でもやっぱり犬に洋服はいかがなものかねえ???せっかくの毛並みがだいなしだああ!!!!

PS 寒がりのニーナとゲゲゲにはお揃いの腹巻を買いました。これでマイナス15度の厳冬を吹っ飛ばせ!!四季折々の変化がある河口湖は最高ですね。スキー場も車で30分で2ケ所ございます。

今宵のラストはラルク アン シェルでWINTER FALL
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by someday3601 | 2013-10-24 22:39 | ホスト&ホステス犬

散歩

毎日の散歩コースその1

  車で若彦トンネル経由5分の上芦川・・・・・・・鶯宿・新井原・中芦川・上芦川の4つの集落の一番の奥地。
集落は車が一台しか通れないので車は無料駐車場に停めて散策は徒歩で・・・・興味のある方はご一緒しますよ。
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この藤原邸は宿泊も出来るそうです。残念ながらPETは不可みたいですが・・・・
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この長~~~~い縁側でのんびりしたいですよね。
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建物の裏手には小水力発電・・・・・水車で臼を回しているのだろう。さすが清流の里。この小さな集落の中を縦横無尽に水路が走る。
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途中農啓庵というカフェで休憩しながら山里から見る南アルプスも素敵ですよ。
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寄り道はここで決まり。朝採れの地元野菜他、手作りの工芸品や、炭なども売っている。地元農家のおばちゃんたちが営んでいるので3Aです。安心・安全・アットホームです。ここで吾郎ちゃんと出逢ったんだ。



水の流れる音はいいよね。安曇野・遠野・郡上八幡とかおもひ浮かべるだけわくわくしますね。次回高山に行く時はぜひ郡上八幡がいいな。本当は夏の盆踊りの時がいいんだけどな~~~岐阜県は僕のNO1です。

by someday3601 | 2013-10-24 12:12 | ホスト&ホステス犬

最近引きが弱いなあ!!

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これは先日のフォトコンでの商品です。全部で5000円相当の犬の・・・ご飯ですよ!!
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こんなものから
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あんなものまでまめまめしくゆきながら流れに載せてゆきます。


  おもひ起こせば今から9年前の2004年の10月23日・・・・新潟の中越地震が起きた日・・・・・白い犬がペンション村入り口の森の木にリードで繋がられて置き去りにされていた。元の飼い主さんも辛かったのだろう・・・・水飲みとその犬が好きだったのだろうかレトルトのドッグフードが添えてあった。反対した僕をゲゲゲが保護しようと懇願し・・・・ついに保護することとなったのは4日目の27日だった。そして名前を27(ニーナ)と命名したのだった。今にしておもへば保護するのも名前をつけるのも僕には権限がなかったのか・・・・?(笑い)驚いたのはニーナを保護して以来懸賞は当たりっぱなしなわけ。たまな良いことをせなあかんな。でも本当に当たったのはそのニーナを家族で迎えられたことだよね。こんなことって滅多にないよね!!あったら困るけどね。さあもうすぐ誕生日だよニーナ!!お父さんもお母さんもニーナが大好きなんだよ!!
  
by someday3601 | 2013-10-23 20:25 | Prize life(懸賞生活)
  こんなオヤジで悪いけどスリムな時もあったんだな。アパレル関係にもいたので川村隆一はLUNA SEA時代から聞いておりました。
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そんな河村氏のコンサートが富士河口湖のステラシアターで10/25開演予定ですが・・・・・台風が気になります。
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同じく10/26日はHIROMI GOのコンサートがございます。




最近では世界遺産に認定された影響で・・・テレビドラマのロケ地となったり、旅番組はもちろんですがワイドショーなどで引っ張りダコの富士山周辺なのでございます。そういえば昨年夏の終わりに・・・・やはりステラシアターでソフィアのコンサートがありました。残念ながら現在は活動休止となっております。当日は80年代の大物アイドルとそのファミリーにお泊りいただきました。その中に松岡充さんの奥様や子供たちが・・・・。

それでは本日のリクエストは川村隆一で『I LOVE YOU』そしてSOFIAで『THANK YOU』でSEE YOU LATER

by someday3601 | 2013-10-22 23:38 | イベント

辞令・・・島根県支部長

  原ハナ殿!!下記の寄贈さtれた写真につきその愛情と尽力に際し、この度島根県宣伝部支部長を任命する。今後共に笑顔で家族を幸せにし、ゴールデンレトリバーとしての自覚を忘れず、健康に留意し責務に励む事とする。

平成25年10月22日 友引     ドッグランド サムデイ会長 ジョン

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この写真でゲゲゲの女房はジョンをおもひだし泣き、居ない事を嘆き、そして笑っているジョンを見て勇気づけられひとつひとつの写真の思ひ出をひもといては懐かしくおもひ・・・・すこし元気が出てきました。本当にありがとうございます。また人の心の優しさにふれました。はじめてのお客様でしたので驚きと感動でした。こんなことってあるんですね。こうして他人同士が結ばれる・・・・ハナちゃんやジョンが結んだ縁・奇跡といっても過言ではないのでしょう。はなちゃん!!ご協力頂いた正三殿にも宜しくお伝えくださいネ。
またいつかSOMEDAYお逢いできる日を楽しみにしております。その時はゲゲゲもきっとご挨拶出来るとおもひます。

by someday3601 | 2013-10-22 13:23 | 宣伝部長!!

13夜

  今宵は13夜・・・・
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皆が健康で幸せなことを願いジョンにお供えしました。十五夜と十三夜をして初めて願いごとが叶うという・・・・

  今宵は残念ながら月は見えませんが・・・・・ジュリーアンドリュースで『星に願いを』でチェケチェケ!!

by someday3601 | 2013-10-17 23:42 | ホスト&ホステス犬