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やまなしの情報や看板犬の日常を南総里見八犬伝ならぬ南都留富士見4犬伝でリポートします。


by someday3601
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カテゴリ:犬連れ道中膝栗毛( 4 )

ニーナの病院

  今日は朝からニーナの病院へ4頭連れて行ってきました。東京の杉並まで。待ち合わせの時間もないので診察時間内につけばと・・・・帰り道は気になるお店に寄ったりしたいので楽しみですが・・・昨日は直行直帰しました。

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 待ち合わせといえば東京駅の八重洲口の銀の鈴とか、新宿アルタの前とか、六本木アマンドなどそれぞれにおもひでの場所がありますよね。あのDJポリスも頑張ったハチ公前なんて人も多いはず。誰かの歌に『今日は渋谷で5時~』なんてありました。ハチ公はあまりにも有名ですが案外その実を知らないのではないでしょうか?秋田犬だったことと毎日飼い主さんを待っていたということしか僕自身知らなかったので調べてみました。

 そのハチ公が渋谷駅前で長い間待ち続けたのは、初代飼い主の上野英三郎(うえのひでさぶろう)氏。上野氏は三重県津市久居出身で日本の農業土木・農業工学の創始者でもあります。 明治32年「耕地整理法」が制定され、その翌年から耕地整理事業が着工されることになったものの、当時は農業土木の専門技術者が皆無の状態。農業土木を研究していたのは、上野氏ただひとりでした。上野氏は、農業土木を研究するかたわら、各地で講演や技術指導を続け、農業土木技術者育成に尽力されました。明治44年には東京帝国大学農科大学教授となり農業工学講座を担当し、その後、農学部農学科に農業土木専修が設立されました。1924年(大正13年)、上野は念願であった秋田犬を購入しハチと名づけた。しかし翌大正14年5月、上野氏は大学で講義中に脳溢血で倒れ急逝。愛犬ハチは帰らぬ上野氏を10年近く渋谷駅で待ち続けた。「忠犬ハチ公」として世間に知られるのは上野氏が亡くなって7年後。ハチ公像の建立は博士の没後9年のことである。上野宅でハチは、「ジョン」と「エス(S)」という二頭の犬たちと共に飼われた。このうちポインター犬のジョンは、特にハチの面倒見がよかった。ハチは、玄関先や門の前で主人・上野を見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあった。

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 その業績を記念し、農業土木の発展に尽くした者には毎年「上野賞」が贈られる。東京都港区青山霊園には氏の墓とハチ公の碑が在る。三重県津市久居小戸木町の小戸木神社には上野博士の記念碑が在る。また同市久居元町の法専寺には墓碑が建つ。2012年10月に上野とハチ公が寄り添う銅像が久居駅東口緑の風公園に完成した。

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 東京・上野の国立科学博物館には、ハチ公のはく製が保存されています。ハチ公が死んだ1935年3月8日その後、杉並区在住の女性の手に渡っていた。同館によると、ハチ公はこの日、渋谷川の橋近くで冷たくなっていたところを発見され、同駅に運び込まれた。当時11歳だった。


 12月10日はそんな上野氏の生まれた日でもあります。(明治4年12月10日~大正14年5月21日)
本日このブログを書くにあたりなんと日本犬の素晴らしいことか・・・・紀州犬の血がながれるニーナにも似たようなところがあります。日本犬を飼っている人ならば皆が知っている良さを。そして先日訃報が届きました。長野県上田市の秋田犬のソラちゃんが11月16日に他界されたと飼い主様から連絡が入りました。怖いくらい偶然に地球の裏側のアメリカに住む従妹のエイミーの愛犬が同じ日に亡くなったと訃報の知らせと同刻に入ったのです。しかも半月以上も経って。そしてその子もクマちゃんという秋田犬だったのです。ここには不思議なことがよくあるペンションです。なにか見えない縁で結ばれているのでしょうか。そしてもう一つ上野氏の眠る三重県久居市の久居元町の日本スピッツの・・・・こちらもそら君がこの6月15日に15歳で逝きました。それぞれの役割を果たし立派に生き抜いたのです。


  今宵のラストはハウンド ドッグで『フォルティシモ』でチェケラウト!!先に逝った者たち、見送った者たちにはそれぞれに役割があるのだろうか。死して尚伝えること、受け継ぐこと。先に逝った者に恥じないように最も強く・・・・フォルティシモでゆこうか・・・・・あえてそんなエールを送りたい。

by someday3601 | 2013-12-10 12:08 | 犬連れ道中膝栗毛
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羽鳥湖レッジーナの森ゲート・・・・左がビジターフロント・・・その奥にホテルフロント
向かって右側がスパ&彩光の湯受付と売店
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ごはん?めし?ディナー?ブレックファスト?納豆?ぶっかけ卵?急げ~おなかすいた~
夕食&朝食はれいくさいど『ラピーナ』まではフロント前の駐車場から約200M・・・後ろ中央がホテルフロント左側がガーデンスパの建物です。(ガーデンスパは水着着用ですが冬季はお休み)
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写真奥が僕たちが泊まった『犬のきもちコテージ』だよ・・・1部屋2~4人(スタンダードまたはスイート)
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このちょっとした距離でオシッコとウンチ君をしてくれるのでちょうどいいです。
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ここがレイクサイド ラピーナです。今日は一泊二食おひとり17000円のグルメコースでした。
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いつもながら食事中はおとなしく待っているワン子たちでした。
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ウエイトレスの小川さんにずいぶん可愛がっていただき御満悦の4頭なのでした。笑顔がとても素晴らしい女子でした。
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寝坊して朝ごはんに間に合わなかった誰かの為に用意してくれたブレックファストのテイクアウトです。帰り際にさりげなく用意して下さいました。毎朝2時起きで普段忙しいから仕方ないよね~慰安旅行だいネ~
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あの~それって僕たちの?????およびでない
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レストラン ラピーナの向かいがドームコテージ オルサでこちらもワンちゃんOKです。合計40戸くらいあります。
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夜は吹雪の中行きました。フロントに頼めば送り迎えしてくれるのでお酒飲んでも安心です。会津はやはり日本酒です。
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そして食事の後は彩光の湯へ・・・・・内風呂・サウナ・露天風呂が3ケ所ございます。夜10時までなのが残念な気もしますが・・・・やはりこの御時勢ですから致し方ございませんね。今回は平日でしたが休前日は団体様やグランディー羽鳥湖スキーリゾートもあるのでスキー客も多いのではないでしょうか。
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お風呂の帰りにキツネ君が見送ってくれました。

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いぬのきもちコテージの中は


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by someday3601 | 2013-02-01 19:37 | 犬連れ道中膝栗毛
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会津若松の鶴ケ城
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犬も歩けます。糞の始末は絶対です。

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白虎隊
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飯盛山から見た会津若松市街
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会津若松城下が炎上するをみてもはやこれまでと自刃した白虎隊の隊士の墓。
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実際には籠城戦において自ら城下に火を放ったのであったが・・・・結果的にはそれを知らぬ会津藩士並びにその一族郎党は新政府軍がそこまで来ていて・・・もはやこれまでと多くの悲劇を招いてしまった。籠城戦をしていた藩主松平容保ほか新島八重など降伏により会津戦争終結後も生き伸びている。
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白虎隊士飯沼貞吉の墓・・・・飯盛山
案内板によると「 白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務部長に進み、通信事業に挺身と多大の貢献をなし昭和6年78才で仙台市において没した。白虎隊の実録も飯沼貞雄氏によって知ることができた。昭和32年9月戊辰戦役90年祭に財団法人前島会仙台支部の手によって、ここに墓碑と顕彰碑が建てられた。」とあります。貞雄は生き残った事を生涯悔い会津若松には近寄らなかったと言われ、遺言により白虎隊の墓近くに昭和32年(1957)に遺骨の一部が分骨され埋葬されました。


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烈婦の碑
会津藩殉難烈婦の碑は飯盛山の白虎隊の墓付近にあります。案内板によると「 この碑は、会津藩戊辰戦役で自刃又は戦士した婦女子二百余名の霊を弔うため昭和3年4月旧藩士山川健次郎氏(男爵、理学博士、帝大総長)等の篤志家によって建てられた顕彰碑である。」とあります。 会津藩家老西郷母頼の母・妻・女子をはじめ婦女子の自刃はあまりにも悲惨でした。

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愛犬クマ 滝沢山中に出迎えの銅像。
白虎隊士と離れた酒井峰治(16歳)。幸運にも愛犬クマの出迎えを受け元気になり、クマの道案内により、無事入城し、籠城戦に活躍した。
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日新館
1798年会津藩家老田中玄宰の進言により計画される。 1803年会津藩の御用商人であった須田新九郎が新築経費を寄付したため、会津若松城の西隣に日新館の校舎が完成。東西約120間、南北およそ60間の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校となった。
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復元された日本最古とされる水練場
当時の会津藩の上級藩士の子弟は10歳になると日新館に入学した。15歳までは素読所(小学)に属し、礼法、書学、武術などを学んだ。素読所を修了した者で成績優秀者は講釈所(大学)への入学が認められ、そこでも優秀な者には江戸や他藩への遊学が許された。全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関であると言える。
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日新館における弓術は日置流(へきりゅう)一流で印西、道雪、豊秀の三派がありました。的場は、三派の境界に低い土堤をもうけ、各派毎に教場がありました。現在は、全国大会などに使用できるよう二つの派をまとめた大きさに造ってあります。また、正面には磐梯山が悠然と構える最高の弓道場となっております。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争により校舎は焼失。現存するのは会津若松城趾西側に残る天文台跡のみ。


會津藩校日新館
実際の藩校は焼失したものの藩校に関する図面などの資料が残っていたため総工費34億円を費やし、1987年(昭和62年)3月に會津藩校日新館として会津若松市河東町に完全復元、開館した。この施設は、博物館・道場(弓道場・武道場)・研修や宿泊施設・映画撮影所などを兼ねており、各種の武道団体も頻繁に練習や合宿に利用している。
詳細は下記サイトをチェック!!
http://www.nisshinkan.jp/

by someday3601 | 2013-02-01 11:44 | 犬連れ道中膝栗毛
  今回はNHK大河ドラマ『八重の桜』の新島八重さんの故郷会津へ

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磐梯山は宝の山

  河口湖から車で羽鳥湖レッジーナの森までの道のり
*中央道~圏央道桶川IC・・・・・・・所要時間は2時間
 休憩:談合坂SA(30分)
*一般道~桶川から菖蒲まで30分
*圏央道菖蒲IC~東北道白河IC車で3時間
 休憩は佐野SAと那須高原SA(各30分)
*一般道(白河・羽鳥線)で途中雪道と降雪のためゆっくりと・・・・・45分
*所要時間はゆっくりめの7時間くらいでした。まあワンちゃんのトイレや給水もあるので余裕を持って
  今回旅の目的はもちろん慰安旅行ですが・・・NHKの大河ドラマの舞台会津を訪ねる事・・・・『がんばっぺ東北』のいみもあり・・・いつもは飛騨高山・白川郷を変更してきました。ゲゲゲの女房のルーツも会津にあるわけで・・・・


  っで泊まりは羽鳥湖高原にあるレッジーナの森へ・・・・ここはいつもお世話になっているポチタマの松本君に勧められていたところなのと雑誌『いぬのきもちで』お世話になっていることへの少しでも恩返しができないかと・・・・ペット旅のお客様に福島へ・・・・レッジーナの森をご利用して頂きますようにいろいろな角度から福島をリポート致します。限られた2泊3という時間の中で実際に行けなかった場所もございますが少しでも福島のとりわけ会津の魅力をお伝えしたく思います。ぜひ福島を旅行し人に触れ、美味しいものを食べ、温泉につかり、いにしえのもののふを思ひだしてはかの地に立つ自分を楽しんでください。



今回は僕が大学生当時にはとバスの添乗員のバイトをしていた30年前と20年くらい前にゲゲゲと行った時以来だったので・・・・久しぶりの会津若松でした。今回は反省点としは旅行自体の計画が殆ど白紙で鶴ケ城と飯盛山と出来たら日新館へ行ければ後は買い物で来て昼食取れればなんて感じでしたが・・・・そこは初めてにちかい観光地と除雪などで・・・・・・そして泊まりが会津若松から1時間半はかかる羽鳥湖高原だったので
観光6時間のうちの多くが車での移動となっていました。それでも鶴ケ城と飯盛山に立ったそれだけで僕は感慨深い気持ちになれました。

  今回初日はあさ10時の出発で夕方5時に到着でしたが・・・・例えばあさ早起きして6時に出ればおそらくお昼には会津若松にいるので・・・・大方の観光を済ませて・・・翌日もう一度来ると言うとだいたいの地図が頭に入り動きやすく買い物や旨いものめぐりが出来たかなあと思います。最終日は実家に寄ってきましたが・・・・

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大内宿
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毘沙門沼
例えば夜遅くなっても良ければ・・・・大内宿や五色沼などを巡って帰るのもよいでしょう。雪が無い春や秋ならば運転に自信がない人も安心してドライブが楽しめますよ。よそ見運転に注意してね。
今回は慰安旅行だったのでゆったり出来ればと思ったのと、ここ河口湖から離れる事、東北で少しでもお金を使うことそして会津の魂に触れる事だったのでそれはそれで良かったのではないかと思います。やり残したことがあればまた行く・・・そうすることでもほんの少しでも東北が福島が元気になれば・・・・・
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青沼



まずはイントロダクションでした。

by someday3601 | 2013-01-31 12:39 | 犬連れ道中膝栗毛